兼目梅佳のプロフィール

プロフィール

はじめまして❣️
「日本刺繍 風花」で作家・講師をしております、兼目梅佳(けんもくうめか)です。

(2022年まで、「西野ふう香」という名前で活動していました。)

プロフィールをご覧いただき、ありがとうございます😊長い文章になりましたが、私と日本刺繍に関わるすべてを書き記しました。ご一読いただけましたら幸いです💕

幼少期から手芸大好き💕

私は、幼少期から手芸が大好きでした💖母が習っていたので、家には手芸の材料やテキストがありました。時間ができると、編み物・クロスステッチ・ビーズマスコット作りなど、様々な手芸を楽しんでいました。ショッピングモールに行くと、手芸屋さんや、本屋の手芸本コーナーで本を眺め、次は何をしよう…とワクワクしていました💕

日本刺繍との出会い

そんな手芸オタク?の私が、日本刺繍に出会ったのは、高校生の頃でした。学校の近くに小さな駄菓子屋さんがあって、かわいいおばあちゃんがお一人で店番をしていました。友達と通ううちに仲良くなり、昔話を聞かせてもらいました。そのおばあちゃんが、昔、日本刺繍をされていたのです。手芸については人よりアンテナを張っているつもりでしたが、日本独自の刺繍があるなんて、聞いた事がありませんでした。そして実物を見せていただき、私は目を見張りました。こんなに繊細で美しい刺繍が、この日本にあったなんて…✨こんなにも美しいものが、なぜ知られていないんだろう…その事が、不思議でなりませんでした。ちょうど学校で古文や歴史を学び、日本の文化に興味を持ち始めた頃でもありました。
それ以来、日本刺繍の事が気になって仕方ありません。そしてある日、学校帰りに立ち寄った本屋で、運命の出会いがありました。紅会が出されている「日本の刺繍」という本。素晴らしい日本刺繍の作品が、たくさん載せてありました。絹糸の艶やかな美しさはもちろんのこと、その表現力に圧倒されました。菊を菊らしく、桜を桜らしく、写真や実物より、もっとそれらしい…それぞれの花の本質を捉え、表現しているように見えました。ページをめくる度、体温がガッと上がるのを感じます。「私のやりたい事はこれだ‼️」そんな叫びが自分の中から聞こえました。後にも先にも、こんな事は初めてです。見終わる頃には、古くから受け継がれてきた日本刺繍という文化の、その流れの一部になりたいと願いました。今は知る人ぞ知る、細い流れかもしれないけど、それを受け継ぎ、次に伝える役割の一端を担えたら…と。(習い始めて、それ程日本刺繍人口は少なくない事に気づきますが😅)

日本刺繍習い始め〜「日本刺繍 風花」の誕生

しかし、すぐには日本刺繍を習える場所が見つからず、通える教室を見つけたのは大学4年生の時でした。就職活動真っ只中。刺繍なんて習っている場合ではない?でも自分の将来に思いを馳せると、日本刺繍に出会ったあの時の、強い感覚が甦ります。あの感覚を無視していいの?やはり、学んでみるべきだ。私は紅会に入会しました。卒論を書きながら、社会人となって仕事をしながら、日本刺繍を学ぶ日々。なかなか課題が終わらない劣等生でしたが、刺繍に集中する時間は楽しかったです。日本刺繍を教えるための師範講座も受け、免状を取得。その間、仕事を通じて出会った夫と結婚しました。結婚後は、会社を辞めて、日本刺繍を仕事にしたいと話すと、夫も賛成してくれました。それから、作品をデパートの催事で販売したり、着物屋さんに仕事をもらいに行ったり、日本刺繍教室を始めたり…「日本刺繍 風花」の誕生です。2005年の事でした。

育児と日本刺繍

その後、4人の男の子を授かりました。作品作りなどはできなくなっていきましたが、家族の協力もあり、日本刺繍教室だけは、産休・育休をいただきながら続けました。度重なる産休にもめげず、教室に通って下さった生徒さんには、本当に感謝しています💕
自分の時間などほとんど取れない育児期間中は、インターネットで着物や帯を見るのが楽しみでした。この柄を刺繍にしたらいいだろうなぁ、この色合いが素敵だなぁ、などと考えているのがとても楽しくて…やっぱり私は日本刺繍が、着物が大好きなんだなぁと改めて思いました。

「日本刺繍 風花」再始動‼️

その想いを胸に、2022年4月、末っ子が小学生になり、子育てもひと段落ついたところで、「日本刺繍 風花」の活動も再始動‼️日本の伝統文化である日本刺繍の、美しさや縫う楽しさを、たくさんの方に伝えられるよう、努めてまいります。日本刺繍を、もっと身近に、もっと楽しく❣️伝統を受け継ぎながら、今の時代の感性で…「日本刺繍 風花」を、どうぞよろしくお願いします🙇‍♀️

最後までお読みいただき、ありがとうございました🙇‍♀️